DJが選んだ「レコード屋さん」の道|馬本貴明/47歳
「『レコードショップ』ではなく『レコード屋さん』と呼んでください。そっちの方が何だか偉そうだから」
熊本県熊本市上通にある「龍田レコード」のオーナー、馬本貴明(47)は、微笑みながらこう語った。柔らかな表情に、誰からも慕われる人柄がにじみ出ている。
レコードやオーディオアクセサリーを取り扱う同店。レコードは馬本自ら買い付けしており、日本ではなかなか手に入らない、海外の希少な作品も並ぶ。ジャンルは、クラシック、ロック、テクノ、ノイズ、インダストリアル、ジャズ、ノーザンソウル、民族音楽。まさに「オールジャンル」の品揃えだ。
音とともにあった馬本の半生。その生き様を振り返る。
10代前半にして並外れた音楽の知識
熊本生まれ熊本育ちの馬本。音楽好きの父の影響で、幼い頃から音楽漬けの日々を送っていた。
「父が予約してるレコードの発売日には、平日でも僕が代わりに列に並ばされていましたよ。父親が学校を休んで買ってこいと指示を出すんです」
そんな環境が、音楽への興味を引き出した。気がつけば、自分が興味を持ったレコードを買い集め、聴きこんだ。父親が好きなクラシックに端を発し、ジミ・ヘンドリクスなどのロック、ニューウェーヴ、ノーウェーブ。果てはジョン・ケージといった現代音楽や実験音楽まで。10代前半にして、音楽の知識は並外れていた。
レコードは、地元・熊本ではなく、大分にある知人の店で調達していた。そこは、レコード店ではないのに、なぜか品揃えが充実していた。当時はまだ、バイクの免許も取れないような年齢。行きは父親に、帰りは店主に送迎してもらった。
中学に進学すると、アイススケート場でアルバイトを始めた。若者の人気のスポットであり、常に活気に満ちていた。そこでは、音楽の知識を買われ、場内で流すBGMを全て任されていた。
音楽への造詣が深まるにつれ、徐々にDJに憧れを持ち始める。
中学卒業後、すぐさまDJ活動を開始。まだ未成年だったため、限られた場所や時間帯でのプレイにはなったが、着実に腕を磨いていった。20代に入ると、Tシャツのプリント工場で働き、生活費を稼ぎながら、DJを続けた。
ある時、工場を経営する社長にくっついて、Tシャツの買い付けのため米国に赴いた。そこで馬本は衝撃を受ける。
広く、遠く、どこまでも伸びる道路。さまざまな国が混じり合ったカルチャー。目に映るもの全てが刺激的で、昔見た映画を思い出した。その後も米国に何度も足を運ぶうちに、「ここに住みたい」という思いが芽生えた。
当時はまだ26歳。勢いに任せ渡米を決めた。
DJとして国内外を飛び回る日々
映画が大好きな馬本は、ハリウッドがあるロサンゼルスを拠点に選んだ。馬本が住む地区は、治安が悪かった。近所にはラッパーやギャングが数多く住んでいた。銃声が聞こえるのは日常茶飯事。抗争の絶えないエリアだった。
そんな生活の中で、馬本が初めて覚えた言葉は、英語ではなく、スペイン語のスラングだった。ラッパーやギャングは、メキシコやエルサルバドルなどスペイン語圏からの移住者が多かった。彼らと接するうちに、自然と語学を習得。現地の免許をスペイン語で取得するまでに上達した。
馬本の当時の生活は、まさに“その日暮らし”。しかし「若さもあり毎日が楽しかった」ため、苦痛は感じなかった。
毎晩のようにクラブへ繰り出し、踊り狂った。もちろん、暇さえあればレコードを買い漁った。レコードが安く手に入る「スリフトショップ」(※)の存在を知ってからは、その量は膨大なものとなっていった。
※スリフトショップ:寄付によって集められた物品を販売し、利益を慈善事業にあてる店舗形態。
自由気ままなアメリカ生活を4年間続けた馬本は、30歳で帰国。相変わらず楽しい毎日だったが、環境や生活に疲れを感じていたからだ。
帰国後、ある店でDJをしていた時、知らない男性に声をかけられた。「なんだか怪しい人だな」とは思ったが、連絡先だけ交換した。すると数日後、その男性から連絡が入った。「DJとして契約してもらえないか」。
実はその男性は、メジャーレーベルのディレクターだった。「DJで食ってみたい」という思いのあった馬本は承諾。上京することになった。
DJとしての生活は、目まぐるしかった。国内外のパーティーで毎日のように音を流した。中には、ホテルを貸し切ってのパーティーもあった。
一般的なホテルのチェックアウトタイムは、午前10時か11時だが、そのホテルのチェックアウトタイムは午後5時。モーニングは午後2時までで、ナイトライフを送る人々のために作られたホテルだった。
一晩のギャラは、今では考えられないほどの金額だった。ホテルの部屋に来客があった際は、据付のワインセラーから、金額を見ることなくワインを振る舞った。
大好きな音楽に身を埋めた生活。毎日が楽しくてしょうがない。しかし、ふとある想いが頭をよぎった。「ずっとこのままの生活で良いのか」。
漠然とした不安と、東京生活への疲れ。悩み抜いた末、地元に帰ることに決めた。
常に新たな刺激がある音楽の仕事
「自分が出会った素晴らしい音楽や、DJの経験で培ってきたオーディオ、音の知識を楽しみながらも後世に伝えていきたい」。こう考えた馬本は、熊本で龍田レコードをオープンさせた。
最初は自宅マンションの一室を使用した。馬本は常に海外を飛び回り、現地で買い付けたレコードを日本に発送。販売は全てアルバイトに任せていた。
買い付けで知り合った人物との縁で、バンコクの巨大ショッピングモール内に、支店をオープン。繁盛したが、2011年に発生した洪水の影響で、店舗が使用不可に。撤退を余儀なくされた。その後、2016年に発生した熊本地震で建物が被害を受け、熊本の店舗も退去せざるを得なかった。
ようやく見つけた現在の店舗は、馬本にとって新たなスタート地点となった。レコードの視聴会や、カルチャーセンターへの出張ジャズ講座。「初心に帰ろう」と、レコードや音楽の楽しみ方を広める取り組みに力を入れている。
馬本は現在も、レコードの買い付けのため頻繁に海外へ足を運ぶ。ヨーロッパに東南アジア、そして時には中東まで。最新情報を仕入れるため、ドイツの老舗オーディオショップに住み込むこともある。その好奇心は、衰えを知らない。
現在の職業の魅力は何なのか。
「販売にしても買い付けにしても、毎回違う音楽、人、場所、そして新しい刺激がある。楽しくて仕方がないんです。それが音楽の魅力ですね」
屈託のない笑顔でそう語る馬本に、今後の目標を聞いてみた。
「レコードの販売というのは、基本的に既存のものを伝える仕事。つまり、他人の作品がメインなわけです。今後は自分自身の作品も残していきたいですね」
その言葉通り、馬本はつい最近、熊本の文芸誌で小説家デビューを果たした。また、現在は映画を自主製作しようと、仕事の合間に脚本を書いている。仲間たちからも、映画製作に協力したいという声が届いているという。
「音楽」をハブに、動き回り、さまざまな経験を積んできた馬本。彼が作り上げる「映像」はどんなものなのか。スクリーン上で観ることのできる日が待ち遠しい。
Astray Goods Life ライター。ノイズ系の楽曲制作が趣味。常に男メシを求めるグルメ。