詩を基にした考察|アートな日常
今回は私が指針としていることについてお話したいと思います。
「人はユートピアを作るために行動し、つまるところ詩を感じるために生きているのではないだろうか」。
ある日、何のために生きているのかと考えていたところ、こんな答えが浮かびました。
人はそれぞれ、好きな部屋に住み、好きなものを集め、好きな友人を作り、好きな時間を過ごす。物質と観念、それは常にセットとなっており、その自分なりの組み合わせを探すことは、いわば詩を紡ぐことと同義なのでは––。こう感じたのです。
美術作品を制作し展示すること、または古道具の配置を考えることも、自分なりの詩を紡ぐということです。何かを場に存在させるときには、おのずと詩が生まれるのです。
誰もが自分の「理想郷」を夢想します。とはいえ理想とは、ある意味でつかめない世界ともいえます。近づくことはできても、及ばない。そこを埋めようとするとき、詩が生まれるのです。
悲しくとも、詩として捉えれば、なんとかやっていける。詩は非常に普遍的なものなのですから。
しかし多くの人が、日々の雑事に追い立てられています。したがって、詩をそこから浮かび上がらせるには、感性が必要となってきます。
逆説的ですが、人間は「詩に包まれた状態」をユートピアと呼ぶのではないでしょうか。 人生に必要なのは詩。 食べ物と同じくらい。
建築にも関係があります。詩を与えられる部屋、家、美術館。詩を感じることのできる空間は、良い空間だと思います。無限や永遠を感じられる、すなわちユートピア。宗教も詩を表そうとしているのではないでしょうか。
詩に達した時、作品も人に伝わります。ものも出来事も空間も、自分の中で詩となるかで判断すべきなのです。
大分県竹田市を拠点に活動する、児玉順平と 加藤亮による美術ユニット「オレクトロニカ」。アート・デザイン・空間づくりなど分野を超える活動を行う。作品を通し、日々の暮らしや地域に新たな視点を提案している。オレクトロニカ公式サイト