ローカルからファッションを発信し続ける|Tシャツブランド代表・成松大輝/28歳
肩にかかるほどまで伸びた髪の毛。自身のブランドロゴを配した青いキャップ。独特の雰囲気を醸し出すこの男の名は、Tシャツブランド「DARGO (ダーゴ)」の代表を務める成松大輝(28)。熊本弁で「とても」を意味する「だご」という言葉からブランドネームを取るほど、郷土愛が強く、熱い男だ。
2000年代前半に熊本・並木坂地区を中心に広がった古着ブームを、中学生の時に体感した成松は、そこからファッションの魅力にのめり込んでいった。一時はサラリーマンとして働いたものの、ファッションへの情熱を捨てきれず、アパレル店勤務を経て、Tシャツブランドを立ち上げた。シルクスクリーンを使い、オリジナルデザインのTシャツを1枚1枚手刷りで自ら作り上げている。彼が今に至るまでに歩んできた人生とは、そして、彼の熱量はどこから来ているのか ––。
ファッションが生み出すコミュニケーション
「俺が中学生の頃は、古着がブームでした。熊本の並木坂には、今よりも沢山の古着屋があって。全国的にも注目を浴びていたんですよ」
成松が中学1年生の時、中学3年生の先輩が、アメカジの古着を着こなしていた。先輩は俗に言う「ヤンキー」。しかしながら、成松の目には、その先輩が格好良く映った。Levi’sなど大きめの服を中心とした、絶妙なバランスのファッション。そのスタイルに衝撃を受けたのだった。
「その服どこで買ったんスか?」
「カッコいいっスね」
純粋な成松の質問に、先輩は丁寧に答えてくれた。その中で成松は、並木坂の古着屋の存在を知り、通うようになった。中でも、先輩の影響でアメカジに興味を持った。服の背景も知りたいと思うようになり、米国の文化を調べたりもした。ファッションにどんどんのめり込んでいった。
おしゃれをすることで、自分に自信がつく。1枚の服から、いろんな人とコミュニケーションをとることができる。服が持つポテンシャルを、ひしひしと感じた。
バイト経験で痛感した「経営」の大切さ
ファッションの魅力に取りつかれる一方、成松には小学生の頃から夢があった。それは、料理人になりたいという夢だ。きっかけは、料理上手な祖母の存在。美味しい料理は、食べた人を笑顔にする。
「今度は、ばあちゃんを笑顔にさせるために、俺が上手い料理を作りたい」
小学生ながらに、そんな思いを抱いていた成松。中学卒業後は、料理の専門学校に行きたいと考えていた。しかし、両親や中学校の担任は、「途中で夢も変わるかもしれない。お願いだから、普通高校へ進学してくれ」と言う。結局、成松は普通高校に進学した。
「料理人になりたいんです。高校卒業したら、料理の専門学校へ行きます」
担任との面談のたびにそう口にし、ショッピングセンター内の洋食チェーン店で、アルバイト生活に明け暮れた。バイト先の店長と副店長は、朝から深夜まで働き詰めの状態だった。心配する成松に「仕事だけんな」と答える店長たち。
「俺が仕事ができないから、こんな現状になっているのかもしれない。自分がもっと仕事をこなして、回すことができたら。しっかりとしたオペレーション習得し、もっと業務効率を上げよう。そうすることで、店長や副店長も休憩時間を取れるかもしれない」
そう考えた成松は、すべてのオペレーションを覚え、店長や副店長が休憩を取れるほどまで現場に貢献した。信頼を得たのか、次第に売上の話を聞かされるようにもなった。
しかし、結局会社は倒産した。
「店長も副店長もあれだけ頑張って働いていたのに。この現代社会では、努力が報われないのか」
悔しくて、涙が止まらなかった。
本社の社員が来て、「君は責任を感じなくていいからね」と声を掛けられたが、成松は責任を感じずにはいられなかった。
「経営が大事なんだ」
このとき、高校生ながらに事業における経営の大切さを痛感した。
「このまま料理人になったら、店長や副店長の二の舞になるかもしれない。こんなことになるくらいなら、好きなことで長くやれる業種で自分自身が経営をした方がいいんじゃないか」
それでも捨て切れなったファッション業界への夢
高校卒業後は、料理の専門学校へ進学せずに、熊本学園大学の経営学科に入学した。地元のアパレル店でバイトをしながら、ファッション業界に携わり続けた。就職活動でもアパレル店を志望したが、リーマンショックの影響もあり、求人自体が極めて少なかった。
まずは就職しよう。飲食店でのアルバイト経験から、オペレーションやマニュアルの大事さを実感していた成松は、せっかく就職するならマニュアルがしっかりしているところが良いと、東証一部上場の大手自転車チェーン店の会社に入社した。
自身もクロスバイクを所有し、自転車が大好きだった成松。アパレルでの経験も生かし、接客は上手くやれた。しかし当時、店長や副店長に昇格するには、自転車の修理スピードが求められた。成松はスピードが遅く、修理を任せられることは少なかった。年に一度の自転車修理のテストでは、九州エリアで最下位の成績だった。
家に帰ると、ファッション誌を読みあさった。いつかは転職したいという気持ちが心の奥にあった。
アパレル業界に転職したいという気持ちが高まる中、兵庫の店舗に異動するよう告げられた。ちょうどそのころ、以前バイトしていたセレクトショップから声がかかった。
「2号店がオープンするから、一緒に働いてくれないか」
1年半務めた会社を辞め、2013年7月からセレクトショップで働き始めた。念願のアパレル業界。興奮を抑えきれなかった。
「自分が本当に着たいと思う服を売りたい」
意気揚々と乗り込んだアパレル業界だったが、成松が働き始めた頃、業界は飽和状態だった。いつでもネットで服を見て、購入できる。InstagramなどSNS経由の購入も当たり前となっていた。もう、以前とは異なり、セレクトショップでは、服が売れなくなっていた。
セレクトショップは、基本的にメーカーが作ったものを仕入れて売る商売だ。そして、扱う商品は、流行に大きく左右される。こうした状況に、成松は葛藤を抱えていた。
「自分が本当に着たいと思う服を売りたい」
そう思い立った成松は、プライベートでオリジナルTシャツを制作することにした。
「I LOVE NEW YORK」「PARIS」「LONDON」。よく見かける地名がプリントされた服。成松は、日本でも地域に根差した服があってもいいのではないか、と考えた。日本人は、国内の地名を配した服を、ほとんど着ない。
そんな時、ジョン・レノンが「NEW YORK CITY」とプリントされたTシャツを着ている写真が目に入った。無意識に「かっこいい」とつぶやいていた。
刺激を受けた成松は、ジョン・レノンが着ていたTシャツへのオマージュとして、「KUMAMOTO CITY」とプリントされたTシャツを作った。知り合いのシンガーソングライターがそのTシャツをとても気に入り、ツアー時に着用してくれたことで、すぐに多くの反響があった。成松は、自分の服の価値を実感した。
勤務するセレクトショップでは、すでに店長となっていた。それでも休みの日を利用してTシャツを制作し、Instagramにアップしていった。
ある時、知人が執拗に「KUMAMOTO CITY」のTシャツについて尋ねてきた。成松は、丁寧に教えてあげた。すると後日、そっくりなデザインのTシャツを、Instagramで目にした。
普通だったら怒りを覚える場面。しかし、成松はこう思った。
「真似されたということは、自分が良いものを作ったということ。だったら、これからは熱量で差を付けよう。工場に依頼するんじゃなくって、自分で一から作るスタイルで勝負しよう」
シルクスクリーンと水性インクを用いて、手刷りでプリント。手間はかかるが、こだわりは出せる。2015年8月、成松は店長を務めたセレクトショップを退職。翌月からはエアコンもない4畳半の自宅の一室で、本格的にDARGOを始動させた。
「DARGO」念願の路面店をオープン
手間を惜しまず、価格以上の手間を掛け、価値あるものに仕上げたい。そんな思いから、その年の10月、成松はアメカジの本場・米国へと飛んだ。
成松は、カリフォルニア州・サンフランシスコの「ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)」を訪れた。「ゴールデン」という名にも関わらず、「インターナショナルオレンジ」と呼ばれる鮮やかな朱色が特徴的なこの橋。夕暮れの紫の空と相まり、幻想的な光景であった。成松は、心が奪われた。
その時に撮影した1枚の写真。当時の感覚や思いを故郷で表現したい。その写真をプリントしたTシャツが、誕生した。
DARGOを立ち上げて間もない頃は、Instagramとネット通販のみが販路だった。そうしていくうちに反応も増え、「実際にTシャツを見たい」との声も寄せられるようになった。だが当時、商品のラインナップも少なく、店を持てる状況でもなかった。
その後ツテをたどり、熊本のアンティーク家具専門店に直談判。間借りして商品を置かせてもらった。ほかにも、各地のイベントへ積極的に出展し、徐々にDARGOの知名度が高まっていった。関東や関西からわざわざ足を運んでくれる人もいたほどだ。
2018年8月、家具専門店での間借りを卒業し、成松は念願の路面店をオープンさせた。DARGO、第2章の始まりだ。
「ファッションは自分の感性をビジネスにできる商売」
「金儲けがしたくてブランドを立ち上げたわけじゃない。自分のTシャツを周りの人が評価してくれたことが嬉しかった。ファッションは、自分の感性をビジネスにできる商売なんだ」
自分の感性を伝えたい。それが成松のモチベーションなのだ。だからお客さんには、無理やり売りたくない。コミュニケーションして、納得した上で買ってほしい。成松はこう考えている。
そう考えるのは、お客さんに良い「購買経験」を積んでもらって、充実した生活を送ってもらいたい、との思いがあるからだ。それは今まで熊本のセレクトショップで働いていたときに、自分が先輩から教わったことでもある。その思いを継承し、響き合う人に自分の服を届けたいというのが成松の願いだ。
「近い将来、国産のシャツ、パンツ、ジャケットを、トータルで提案できるようなブランドを、ここ地元熊本で作り出したい」
成松の原点は、中学時の体験だ。かつて、並木坂の古着屋は、中に入れないほど賑わいを見せた。あの時の熱量を、デザインに落とし込み、再現する。成松はもう、次のステージを見据えている。
Astray Goods Life ライター。舞浜の「夢の国」をこよなく愛す乙女。仕事終わりにインコと遊ぶことが楽しみ。