古本屋と演劇で文化を醸成する 菅原龍人/29歳
熊本の中心市街地から少し離れた場所に、知る人ぞ知る小さな古本屋がある。名を、「古本タケシマ文庫」という。この店の店主が、今回の主人公、菅原龍人(29歳)だ。かつて演劇の道を志し、東京で自ら小さな舞台を手がけていた菅原。「人は本当にやりたいことなんて、ない」と口にし、達観したかのような雰囲気を醸し出す男は、どのように形作られてきたのか。
「もっと演劇を極めたい」
熊本市で生まれ育った菅原。地方特有の狭い人間関係が息苦しかった。「自分のことを誰も知らない田舎の学校に通いたい」と、自宅から通える範囲で、最も遠方の自治体にある高校へ進学した。
運動部には入りたくなかった。「ゆるそう」というイメージで、演劇部に入った。ところが入ってみると、全国大会を目指すほどのレベルだった。脚本を執筆するのは演劇部の顧問。「囚人の心臓移植」など、社会問題を取り上げたものばかりだった。
高校生が心情を理解するのは難しそうだが、「大変だが楽しかった」と当時を振り返る。引っ込み思案な菅原だったが、演劇を通して人前に立つのが好きになった。高校3年時には、生徒会長も務めた。
高校卒業後は、顧問の勧めもあり、表現学科のある九州大谷短期大学(福岡県筑後市)へ進学。演劇の道以外、全く考えなかったほど、のめり込んでいた。
短大では、演劇をはじめ、ミュージカルやダンスなどを学んだ。「もっと演劇を極めたい」。早い段階で、卒業後に上京することを決めた。
演出の力に衝撃を受ける
門を叩いたのは、高田純次らも所属していた「劇団東京乾電池」の養成所。稽古は厳しかったが、覚悟して上京した菅原は耐えた。しかし、それ以上に辛かったのが、周囲との「演劇観」のギャップだった。目的意識の違いがストレスとなって積み重なり、菅原の心はボロボロになった。
悩みながらも、養成所に通う日々の中で、自ら多くの舞台に足を運んだ。そこで出会ったのが演出家・飴屋法水の舞台だ。
演劇とは、俳優の技量ありきだと思っていた。しかし、飴屋の舞台は、人ではなくて演出で伝える舞台だった。衝撃を受けた。
養成所を1年で辞めた菅原は、演劇の制作会社に勤めながら、演出を学んだ。飴屋が講師を務めるワークショップにも参加し、そのテクニックを盗もうとした。
「演出で観客を魅了したい」。そんな思いが止まらなくなり、ついには小さなギャラリーで、自ら演出を手がける舞台を開催することにした。飴屋にならい、役者はすべて素人と決めた。
とはいえ人脈もツテもない。クラブに足繁く通い、客に声をかけた。「演劇やってるんです。舞台に出てもらえませんか」。
当日まで不安だったが、会場は満員。今思うと「お粗末な演出」だったが、全力を出し切った。
それまでの演劇人生で、最高の達成感。その後も2回開催し、ともに成功を収めた。大きな自信を得た。しかし、菅原は演劇の世界から離れることとなる。
コンセプトはあえて「昔ながらの古本屋さん」
「突然、演劇に関する興味がなくなった。今でも明確な理由は分からないが、『無』になったような感覚だった」
そこから菅原は遊び歩いた。仲間たちとスケボーに興じ、街中でパフォーマンスを繰り広げた。ただただ、遊ぶ日々。「どれだけ演劇に時間を使っていたんだろう」と、これまで自分の人生をかけてきた演劇に憎しみに近い感情さえ抱いた。演劇が嫌いになった。
弟と妹の進学で、実家で父親が一人暮らしをすることになった。実家から戻ってくるように催促されることはなかったが、菅原は帰郷を決意した。
家業の看板店を手伝う日々。そんな折、知人から紹介を受け、熊本の劇団「ゼーロンの会」に入団した。しかし、菅原に演劇への情熱が戻ることはなかった。「演劇、嫌いになっちゃった」。
ある時、熊本で古本市が開催されることを知った。上京していたころ、古本屋めぐりに没頭した時期があった。その時集めた本がある。よし、出てみよう。人と話すのは得意ではなかったが、思い切って古本市に出展した。
本は売れた。そして、お客さんとの会話も、自分で驚くほど楽しめた。これを商売にしたい。そう思った。
祖父の遺した古書と、自ら仕入れた古本を揃え、2016年7月、「古本タケシマ文庫」を開業した。屋号は祖父の名字からとった。
タケシマ文庫の狭く、古びた店内は、古本が持つ独特の匂いに満たされている。特定の層が来店するわけではなく、老若男女さまざまな人々がふらっと店内に足を運ぶ。
電子書籍が増え、インターネットで中古の書籍が格安で販売される昨今。古本屋は一般書店とは異なり、望むような仕入れができるわけではない。取次業者がトレンド入りした人気の本を納品してくるわけでもない。そんな難しい仕事だからこそ、作り上げていくプロセスに魅力を感じている。
扱う本は、映画、アート、郷土史など多種多様。尖った新鋭の古書店が増える中、コンセプトはあえて「昔ながらの古本屋さん」とした。
インターネットの世界では、競争原理が働き、古本は1円から販売されている。しかし、書かれている内容や本そのものには、価値がある。面白いと思ったら置くべき。そんな考えで、自分が面白い、価値があると思った本を店頭に並べている。「これが私の役目だと感じています」。熊本の文化に貢献したいとの思いは強い。
演劇と古本屋というライフスタイル
ある日、「ゼーロンの会」代表の上村氏が来店した。彼は「もう一度舞台に立たないか」と単刀直入に申し出た。入団後、すぐに退団した菅原だったが、上村氏の熱意に負け、再び「ゼーロンの会」に戻った。
今年4月、菅原は舞台に立った。「オイディプス王」で使者を演じた。当初はあまり乗り気でなかったが、楽しんでいる自分がそこにいた。かつてないほど心躍った。一度は嫌いになった演劇だが、古本屋でいろんな人、本と触れるうち、自分の気持ちが変わっていたことに気づいた。
地域の文化を醸成する。古本と演劇が共通する部分だ。知らず知らずのうちに、それぞれが相互に好影響を与えていた。
「本当はやりたいことなんて、なかったんですよ。その時の環境で自分のやりたいことなんて、変わってしまうと思うんです。今の環境がすべてと信じ込み、すがり付くと、しんどい。用意された演出に合わせて舞台上で役を演じるように、ある日突然道が開けることがある。それが私は古本屋であり、再び舞台に立った演劇だったんです」
菅原は、古本屋に立ちながら、舞台に立つ日々を送る。これからも、このライフスタイルを続けていくつもりだ。(敬称略)
Astray Goods Life ライター。元雑誌記者。地域文化の発信を通し、彼女を探している。